柳屋奉善
安土桃山時代 天正3年(1575年)、「近江の国」現在の滋賀県 日野町にて創業。 口伝によると、蒲生氏の御用菓子司として仕えた近江商人であったとされております。
その後、天正16年 豊臣秀吉の命により、「蒲生氏郷」が松阪を築くのとともに 「伊勢の国」松阪に居を移すこととなり、現在もこの地で商いをさせて頂いております。
江戸時代に入り、カ士「不知火」の御一行が神宮奉納相撲に来られた時に、「老伴」を手土産として江戸に持ち帰った事で、全国的に知られるようになり、「宝暦昔話」という文献によると、当時 江戸棚が2店舗あったことが記されております。
当社、柳屋奉善の初代、市兵衛(善貞)は古代中国、漢王朝時代の 瓦(かわら)を習字の硯石として用いていたところ、そこに描かれていた『飛鴻延年』 と呼ばれる紋様に粉の生地を押し当て、そこから型をとった生地を焼いて菓子を作り、
『古瓦(こが)』と名付けたのが起源と伝えられております。
この紋様には『年』と『延』の古代文字が刻まれており、 中央には 幸せを運ぶ鳥 『コウノトリ)』が翼を広げていることから、 この大きな円(マル)い和菓子を大切な方々とともに分け合って食べることは、 『幸せをおすそ分けする。』『志をともに分かち合う。』という意味を表すそうです。
老伴 おいのとも
老伴(おいのとも)とは、天正3年(1575年)に作られた商品で、後に松阪の豪商で茶人でもあった三井高敏氏(三井家)により、白楽天の詩集から「老伴」(永遠に付合えるお菓子)と改名されました。片面のみの円形最中に、餡ではなく「羊羹」の入った珍しい和菓子です。紅麹(ベニコウジ)で赤く染められた手亡豆の羊羹は『日の丸や太陽』を現しており、高山産の餅米を使った『最中』は高熱で水分をおびた羊羹でも湿気らないように、煎餅のように固めに焼いた特別製の最中を使っております。
羊羹のコクのある甘さと、最中の香ばしさが味わい深い、上品な和菓子です。
コシが切れないように、煮詰め加減に細心の注意を払い、
完成した羊羹を最中に流し、表面に糖蜜を塗り、刷りガラス状に乾燥させております。
羊羹部分の食感はお客様のご要望により、年々柔らかくなってきておりますが、ずっと前から『老伴』をよく知る方によると、老伴はもっと硬く干菓子のようなモノであったということで、わざと放置して砂糖の糖化を待ってから召し上がるそうです。
また、老伴の最中部分を下にした状態で、オープンや網焼きなどを使い、弱火で下から5分程度或ると、最中が焼きたてのようにサクサクと香ばしくなり、羊羹部分との食感のコントラストがはっきりして、さらに美味しく召し上がって頂けます。
店舗情報
柳屋奉善本店
〒515-0083 三重県松阪市中町1877
松阪駅より徒歩 約5分
フリーダイヤル:0120-51-0138
電話:0598-21-0138
FAX:0598-26-2126
本店営業時間:9:00〜18:00/定休日【火、水】
茶房 楊柳園
※只今、休業しております。
柳屋ホール
〒515-0083 三重県松阪市中町1877
本店横 2F
サイズ:8m×5.1m
使用料:1時間 1,000円(終日の場合は7,000円)
夜間の使用はご相談に応じます。